機器メーカーでの社員経験を経て、父が代表を務めていた光製作所に入社。そして5年前、三代目として代表取締役に就任しました。この間、さまざまなことがありました。時代が激変する中、光製作所の一員として、後継者として、何を考え、どう歩んできたのか。今回は、それを知ってもらえる機会になればと思います。
私が光製作所に入社して以降、会社は幾多の苦難に見舞われてきました。例えば、2008年。この年は、多くの製造業にとって忘れられない年だと思います。リーマンショックです。光製作所も、1日中工場を稼働させても生産が追いつかなかったのが、1日に一度も設備を動かさない日が出てくるようになりました。
その何年かあとに起きた、重要取引先である数社の統廃合も、光製作所にとっては大きな出来事でした。それぞれの企業にいる人たちの思いが交錯し、入り交じりながら、1つの企業になっていくのです。良い話もそうでない話も、たくさん耳にしました。いままでやっていた仕事がなくなったり、一時的に売上が落ちた年もあります。
しかし、こうした時代を通り抜けたからこそ、明らかになったこともあります。それは、先代社長の「雇用は必ず守る」という考え方が、光製作所の強みを生み出したという点です。先代社長は、どんなに業績が苦しくても、リストラをしませんでした。それがあったから、特にリーマンショック後は、比較的早い時期に以前の仕事量をこなせるようになり、立ち直ることができたと思っています。
2013年、大手取引先からの要望を受け、湖南工場を開設。このときは、工場を一から作り込む作業をしました。ペンキを塗ったり、看板や扉を取り付けたり。工場を立ち上げることの大変さを経験しましたが、何かを作り上げていくやりがいはありました。
私が代表取締役になったのは、湖南工場を開設した4年後の2017年です。30代後半になっていました。実は、この時期が精神的に最も苦しいときでした。
三代目となり、一気に重圧がかかったのだと思います。結婚や第一子誕生も重なり、仕事でもプライベートでも、責任という二文字が私の中で大きくなりました。いつも不安で、会社に行くのがしんどい。そんな状況でした。
でも、そんなときでも、社員のみなさんは「大丈夫だよ」と言って、私の回復を待ってくれました。そして半年ほど経ったころ、もうそろそろバリバリやれるのでは?と背中を押してくれました。無理をせずに歩いて行こう。そんなふうに思わせてくれました。
社長になって1年が立ったころ、私は社員のみなさんに手紙を書きました。自分と、これまでの光製作所の歴史を振り返り、見つめ直そうと思ったからです。
およそ80年前、祖父が小さな町工場として光製作所を創業したこと、リーマンショックの頃、社員の皆さんといっしょに耐え忍んだこと、買う人に喜んでいただけるものづくりをこれからも実現したいことetc。手紙にはそうした経緯をつづりながら、お金だけではない、人と人との関係性やつながりを大事にしたいという思い綴りました。伝わっていたらうれしいです。
私たちは機械ではなく人間です。人それぞれ「これがベストだ」と感じることは違うし、想いも考えも違います。お金を生む人もいれば、それを下支えする人もいる。それぞれに役割や個性は違います。
でも、違っていいと思います。違いを認め合い、ともに力を合わせられる組織になればいいと思います。そして、朝は希望とともに起き、昼間は懸命に働き、夜は感謝とともに眠る。そんな自然体の生き方、働き方が広がれば、ドライではない、助け合える組織ができると思っています。
社員、求職者、そしてお取引先企業にもご覧いただける社内報です。
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